春城代酔録
蔵書印の考察
多くの書物を扱っていると、自然蔵書印に注意するようになり、それが往々一種の趣味となって、不明の蔵書を調査したり、また多くの印影の蒐集を試みたりすることにもなる。多くの場合、何びとでも書物をひらくと、まずそれに捺してある蔵印を見ることがほとんど例となっている。
それは誰の収蔵であったかを知らんがためで、それによって書物の時代などが知れるからである。もちろんこれは古書においてであるが、古書には多く不明の人の蔵記がある。その中にどうもすると、歴史上著名な人の蔵記を発見することがあるから油断はならぬ。もし大人物の印が見出さるるとなると、その本が大いに光輝を発する。例えば、西洋で云えば、クロンウエルの署名やシーザーの署名でも発見したとなったら、大騒ぎであろう。日本でも、光明皇后の「内家私印(ないけしいん)」の蔵記のある書物や空海の署名のある本が発見されたとしたら、図書界に大波濤を捲くであろう。図書を扱うものに相当蔵記の鑑別力を要するはこれ故である。
自分もかって蔵書印に趣味を感じ、数年間印影の蒐集をつとめたことがある。切り抜いて差支のない印は本から切り抜きもした。切り抜くために特に古書を購いもした。名家の印を蔵する人について印影を請いもした。そしてそれを貼りつけた本が三、四冊できた。実は蔵書印譜を作って見たいと思ったからである。自分が名家の私印の磨り潰されて亡びゆくのを惜しみ、有るに任せて蒐集し、今も続けているが、この名家の蔵書印も自然十幾顆(じゅういくつ)を得た。これらも皆蔵書印譜の材料とするためであった。この蔵書印には格別古いものは無いが、尾藤二洲(びとう じしゅう / 江戸後期の儒学者)の「獨醒樓圖書記」、狩谷棭齋(かりたに えきさい / 江戸時代後期の考証学者)の「湯島狩谷氏求古樓圖書記」、橘南𧮾(たちばな なんけい / 江戸時代後期の医者)の「春暉堂圖書記」、水戸の支藩守山候源頼寛の「觀濤閣」の印三顆などが重なるもので、二洲の印は高芙蓉(こう ふよう / 江戸中期の儒者、篆刻家)の作で、銅印である。頼寛の印は彰孝舘の印と同形で、頼寛の著「論語徴集覽」の首部に刻してあるのが三顆の内にある。
右の如く自分も一時蒐集に没頭したが、遂に断念した。その訳は、古書より蔵記を切り抜くことは書物に対しての冒涜であることを感じたからである。一冊の本に同じ蔵記が首尾その他に幾つも捺してある場合一つ切り抜いても妨げないようでもあるが、それにしても痕跡が残って書物の疵となる。書物にかかる疵のあるのは甚だ不快の感がする。時たま蔵者自身が売却する時に蔵記を切り抜いたり、あるいは塗抹して自家の名を蔽わんとするものもあるが、やはり書物を疵ものにして、よくないことである。人あるいは蔵記を切り抜かず、それを模写すれば事足りるではないかと云うかも知れんが、印の模写などは素人のできることでない。織毫(せんごう / きわめてわずかなこと)の差のないように写すかと云うかも知れんが、印の模写作用なら格別、篆刻家といえども難ずるところであって、素人がいい加減に影写したものなどは全然価値のないものである。なおここに付け加えておくべきことは、名家の手沢(しゅたく / 身近に置いて愛用した物)の本を珍重することには、合理的の意味もあるが、その手沢たることは何によって証するかと云えば、蔵書の書入や署名などのあるのでも判ぜらるるけれども、もっぱら蔵記でこれを証するものであるから、手沢本を重んずるからには蔵記を重んずべきである。蔵記を塗抹したり切り抜いたりすることは手沢本の証跡を滅却する事になる。
蔵書印は本来その所属を標記するものであるが、それが後になると、いろいろ書物を考察するに役立つ。と云うのは、書物の所蔵者の階級の違いで印の形式や大小などに差がある。大体地位の高い人の蔵記は堂々たる趣がある。武田信玄が僧三要(さんよう)に与えた本は足利文庫に存しているが、誰も知る如く、いかにも立派な蔵印である。政府所属の図書に大なる蔵印を捺すことは特色となっているし、皇族方の蔵記も堂々たるもので、「青蓮王府」の印などはその一例である。寺社の蔵印も特長があって、長方形なのが通例であるけれども、もちろん方形、図形もある。藩学の蔵印もかねがね大形である。漢学系の学者の蔵印と、国学者系の蔵印にも多くの相違があって、前者には唐様が多く、後者には和臭があって往々仮名文字を交えた印文がある。こんな風に蔵印を見ると、およそ所蔵者はどんな人であるかが略々推測される。また蔵印の形式は時代によりてかなりの違いがあって、古い時代の蔵印は質朴で、黒肉で捺したのが多く、書体も楷、行、あるいは倭古篆と唱える日本式の篆字を用いている。おいおい時代が降ると、支那風の印となってきて、それにも種々の変遷があるから、それを見るとおよそ本の時代を知ることができる。
蔵印は前述の如く所属を標記するものだから、本来自家の姓名を明記すべきであるが、必ずしもそうではなく、あるいは号を刻し、あるいは書斎、あるいは文庫の名を刻したりして千殊万別で、中には到底誰の蔵書かを判じかねるものがある。一人で別号を幾つも持っている人が、その種々の別号を印記としている場合などは、通人でもなかなか判じかねる。ずいぶん中には唯だ自家の心覚えにと、姓氏に全然関係のない游印(特定の個人や法人に帰属しない文字を印文にした印章)を捺す人もあり、あるいは絲印(いといん / 明から輸入した生糸の糸荷につけてきた文字を刻んだ銅印。)を蔵印に間に合わせている人もあるから、蔵印で旧蔵者を知ることは容易でないが、実はそれを詮索する興味もある訳で、ともすると研究の結果、偉い人の蔵印を発見することがある。友人谷村一太郎氏がある仏書を得て、誰の手沢本とも弁じかねていたが、その捺してある鼎式の印が足利直義の印とわかって驚喜したなどは、その一例である。
なお特に言うほどのことでないが、蔵書印に「蔵」の字がなくとも蔵印である場合が少からずある。およそ蔵書印に普通用いる語類を挙げて見ると、「図書記」蔵書」珍蔵」家蔵」収蔵」鑑蔵」蔵古」秘笈」挿架」清玩」清賞」過眼」読書記」などすこぶる多般であるが、ここに多少疑問であるのは「過眼」の印である。支那では他人の書物を借りて読過すると「某過眼」の印を捺すことがあるように聞く。さすれば過眼印と同じ意味で「読書記」の印を用いている人がある。書狂、書盗として醜名を博した某の印などがこれであるが、これなどは狡猾の心術から工夫したものかもしれない。まさか他人の本に自分の蔵記も捺しかね、咎められた時の遁辞(とんじ / 言いのがれ。逃げ口上)に所属印でないと弁疏(べんそ /弁解)するつもりかも知れない。それはともかくも、読書記も普通蔵印と見なされている。なお蔵書印の内に「會在某氏家」と刻したものがある。これなどは書物の行末を考え、どうせ自分の死後は人手に帰するに相違ない、しかし一たびは俺れの所有であったと記念するために工夫したものであろうが、己の手にある内に「會」の字を用いるのは早計であるまいか。それでは所属を争うことがあったら敗訴になるおそれがある。
書物を大切にする人は百代の後まで子孫に伝えたいと考えて、なんじの子孫に宜しだの、子孫之れを宝とせよと云う様な文を刻したものが多くある。しかるにその反対の印語を選んでいるものも少なくない。「得其人傳之必不於子孫」と刻したり、「子孫換酒亦可」と刻したりする印は将来を見越した印語で、いくら子孫に宝とせよと云うても、それは覚束ない、俺れの死後には売ってしまうに相違ないと、早くあきらめてかかる印を用いるのである。自分のごときはこの種の印を用いる仲間で、現に前記の二顆とも有しているが、「子孫換酒亦可」の印は市野迷庵(いちの めいあん / 江戸時代後期の儒学者)の書後の意を取ったのである。以上は皆蔵書記であるけれども、かような印は単用しては所属の標記とならないから、別に私印を重ねて捺す面倒もあって、この種の印を用いることはあまり関心ができぬ。森川竹窓(もりかわ ちくそう / 江戸時代中期後期の日本の書家・画家・篆刻家)が大切の書物に捺すに「此書不換妓」の印を持ってした顰み(ひそみ / うわべだけむやみに人のまねをすること)に倣って、自分も戯れに「此書不換酒」の印を作ったが、これなどもやはり単用では所属が知れないから、戯れに捺す用にしかならぬ。なおこの他いろいろの蔵記を挙げると、父祖伝来のものであることを標記する印がある。家康公所蔵の書に「御本」の印が捺してあるのはその一例である。あるいは「幾十年精力所聚」と集書の苦辛を標記するものもある。他人に貸す場合粗略にされてはならぬと、その意を寓した和歌の印や、蔵記の左右などに書物は必らず旧主に戻すべきものだと云う様なことを刻したものや、図書取扱の注意などをこまごまと刻したものもあって、蔵書記の類はいかにも複雑である。
蔵書印は図書に欠くべからざるものであるが、書物を愛重する心があれば書物の膚を成るたけ汚涜しない心掛けがなくてはならぬ訳だ。実を云えば、蔵書印で書物のある部分に一痕を残すのは一つの瑕疵とも見做さるべきものである。大きな印を文字の上に捺したり、種々様々の印を余白のある限りベタベタ押すなどは、図書に対する大なる冒涜である。別して俗悪の印を捺すことはすこぶる図書の権威を害し、識者はそのために唾棄することにもなる。極端の例ではあるか、古書にゴム印をインクで捺したとすればどうであろうか。それは大なる疵となるのは言うまでもなかろう。貸本屋の蔵記は商店の仕切判でいかにも俗悪のものだが、それが小説などに捺してあるから忍ばれもするが、もし相当の図書に捺されてあったとすれば、好書家にいかに惜しまるるであろうか。名もない人の蔵印はたとえ雅刻であっても、その図書の後継者に迷惑を感ぜしめることが少なくない。これを考えると、書物を愛重するからと云うて、自家の蔵印をやたらに捺すことは遠慮してほしくなる。実は図書の愛蔵家の矛盾は自家の印で書物を汚すことにある。愛重の念が深ければ深いほど、一点も書物を汚さない様に心掛けるのが本当であろう。極端を云うと蔵書記の絶対にないことを主張したくもなるが、前にも陳べたように、蔵書記は所属を標記するためであるのみならず、刊年や蔵者を知るためにも大切であるから、一概に極端論を唱うべきではないが、書物の愛重者は心して蔵記を捺してもらいたい。蔵記は所属を明かにすればすなわち足ると云うて、印判屋の彫った俗印をベタベタ押されては、ある種の書物は泣くであろう。例えば宋本などにコレ式の印を捺したとしたら、この上もない冒涜であろう。
とにかく書物と印に調和を要する。捺さるべき図書に相応する印が選ばれねばならぬ。蔵記はその人の人格や品性を現わすことにもなるから、相当の刻でなければならぬ。したがって図書を愛蔵する人はある程度まで印に理解がなくてはならぬと思う。近頃の蔵書家であった某氏は、必ず、拇指大の図形の印を本の邪魔にならぬ所を選んで捺すを例としたが、ある知名の蔵書家は無遠慮にその所有の蔵記のあらん限りを蕪雑(ぶざつ / 雑然としていること)に捺して余白を埋めている。そしてその印が皆な俗刻であるので、蔵者は全く印に趣味もなく理解もない人と想像される。自分は前者の印を見てその奥床しい心根を感ずると共に、後者の印を見ては戦慄を禁じ得ぬ。俗印を多く書物に捺すのは、さながら美人の肌に焦痕を印する様なもので、これほど罪なことはない。さすがに昔の書物に捺してある蔵記は、質朴ながら雅趣があって、いささかも衒気 (げんき / 他人に自分の才能などを見せびらかしたがる気持)がなく、図書に権威と光彩をこそ添えれ、一向冒涜にならないところが嬉しい。
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