神代文字コレクション

神代文字とは


今回のコレクションは神代文字(ジンダイモジ)です。神代文字は、漢字が渡来する以前から日本に存在したとされる文字です。古代文字や上古文字とも呼ばれており、その存在については昔から論争がありましたが、現在では否定されているようです。
しかし、たとえそれが偽字であったとしても、その造形やデザインは非常に興味深く、私どもの関心を引く要素と言えるでしょう。その面白さから、ここで取り上げてみたいと思います。

古文字体

次の文献で神代文字について簡単な概要が書かれています。
注)適宜旧字を新字に改め、フリガナは[ ]で表した。また(*)で注釈を入れた。

石黒修 著『ことばと文字』,三省堂,昭和25. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1169630 (参照 2023-07-23)

(五) 神代文字
 中国から漢字が伝わる前に、日本に文字があったか、なかったかということは、だれも考えることであり、今日までもたぴたび論議されて来たことである。
 斎部廣成[いむべ ひろしげ]の『古語拾遺』(八〇七)という故事来歴を書いた本の前書きにも、昔は文字がなかったと聞いているということを書いている。一方、文字があったという人は、この文字というのは漢字のことで、「かな」というのも「神字」(字は「な」)であり、「神代文字」の略語だとしている。
この上古の文字といわれるものには、これまたいろいろの種類があるが、これをまとめて「神代文字」といっている。
 神代文字があったという説は、かなり古い時代からあったが、江戸時代には国学者や神道家によって特にさかんに唱えられた。新井白石[あらいはくせき](1657-1725)・平田篤胤[ひらたあつたね](1776ー1843)などの学者がそれであり、その後落合直澄[おちあいなおずみ](1861-1903)などの著書がある。
 落合直澄は、神代文字を『日本古代文字考』という本で、次のようにわけている。
1、六行成字(天名地鎮)[むさしもじ[あないち]] 2、種子字[たねこもじ] 3、守恒字[もりつねもじ] 4、阿比留字(日文)[あひるもじ[ひふみ]] 5、惟足字[これたりもじ] 6、伊予字(秀真)[いよもじ[ほつま]] 7、筑紫字[つくしもじ] 8、対馬字[つしまもじ] 9、斎部字[いむべもじ] 10、夷射奴字[あいぬもじ] 11、豊国文字[とよくにもじ] 12、通用仮字[とおりかな]
(このうちの12が現在のカタカナ・ひらがなである。)
 それらを見ると、あるものは朝鮮(韓国)の諺文[おんもん](*ハングルの旧称)に似ていたり、あるものは梵字[ぼんじ](* 梵語(サンスクリット)の表記に用いられた文字の総称。)に似ていたりするが、だいたいどれも似たりよったりであり、この順序がだいたいきまっていて、これを現在のかなであらわすと、次の四十七字ある。
ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキル
ユヰツワヌソヲハタクメカウオエニサリ
ヘテノマヌアセホレ
 ところが上代の音韻組織はもっと複雑であり、四十七音となったのは平安時代の中ごろといわれていることから、いろは歌よりも後にできたものとも考えられる。また神代文字は、かなと同じように表音文字であるが、これが前からあったら、漢字を採用し、かなを発明するには及ばなかったと考えられるから、今日では神代文字はなかったという説が有力である。
 貝原益軒[かいばらえきけん](1630ー1714)・賀茂真淵[かものまぶち](1697ー1769)・本居宣長[もとおりのりなが](1730-1801)・伴信友[ばんのぶとも](1873ー1946)など、神代文字があったという説に反対した人も、明治以前にもあった。
 文字がなかったということは、文化の低さを物語るというような劣等感から、日本にも大昔から独特の文字があったと主張をする人もないではなかった。

平田篤胤

これよりも詳しい解説は下記から
国文学大講座 第2 第四章 文字 一、神代文字
日本上古史論 七、日本上古文字の有無

石ぶたの縮図

高橋竜雄は神代文字が無かったという理由をこう述べています。

高橋竜雄 著『世界文字学』,同文館,1908. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993660 (参照 2023-07-23)

第四章 仮名文字の歴史

わが国に固有の文字がなかったというのは、いかにも残念であるという一種の愛国心からして、いわゆる神代文字といふものを作った人が沢山ある。中にもわざわざ深山幽谷の中へひとりで入りこんで、岩石にある変形の文字を刻みこみ、二三十年も経てから、人をつれてきて、ここにこんな碑がある、何だろう、恐らくは神代文字ではあるまいかなどいいふらした人もある。又或人はある変形の文字を石にきざんで、深く土中に埋め、幾年かを経た後に、偶然採掘発見したように見せて、これが神代文字であるといった一種の愛国家もある。
落合直澄氏の『古代文字考』という書には、その神代文字と称するものが沢山集めてある。いづれを見ても、皆一種の愛国家が作為した跡が歴々と見えておる。その他某神社の宝物とか、某仏閣の所蔵とかいうものの伝えられておるものも、皆また一種の愛国家なる神官僧侶の手になったものであることは、推知するに難くはない。
有神代文字論は、ふるく日本紀天武の巻に、私説曰此書有国図書寮書体似梵字とあるを始とし、釈日本紀の師説神代口訣及び三代実録も有文字説を掲げ、平田篤胤の古史解題、同じく神字日文伝、前述の古代文字考、清人沈文螢の蝌蚪古代文字考等も有文字論に加担している。無神代文字論は、ふるく古語拾遺に貴賤老少口々相伝云々とあるをはじめ、本朝文粹の中三善清行の意見封事中にも無文字説を述べ、朝野群載の三巻新撰姓氏録なども無文字論である。また最も有名なるは伴信友の仮字本末、村田春海の五十音弁誤、チァンバーレン氏の東洋学芸雑誌上の論文などであるが、これらは皆有文字論者を攻撃して、その論拠を全く覆したものである。その他新井白石の同文通考、跡部光海の和字伝来考、諦忍の伊呂波問弁、鶴峰戊申[つるみね しげのぶ]の楔木文字考、中澤突粲[ひろよし](*書により宏桀、宏祭、突染、宏粂などがあり正解が分からない)の神字[カンナ]のしらべ、田中頼廉[よりつね]の神字考などを見ても、神代の文字というものが、いかにも曖昧なもので神代文字論の採るに足らぬことがよく知れる。
 実に神代文字というのは、全く無いものである。この有無の論は既にすでに先輩が論じつくしたのである故、今更この書でかれこれいうべき要を認めない。けれども、一つ笑草にまで、神代文字といわれたものの中、最も有名なものを二つばかり掲げてその構成がいかに新作偽造的であるかを示そう。
 第三十八図に示された文字は、いわゆる日文というもので、神代文字の天名地鎮[アナイチ]、秀穂[ホツマ]などいう種類の中で、最も傑出したものである。さあてその構造を見るに、母字アイウエオを設け、別にクスツヌフユルクの子音を作り、これを合して一の綴音となすことは。ローマ字式と全然同一である。
字形は疑いもなく朝鮮の諺文に採ったものであることは、本書前章に掲げた朝鮮の諺文と対照して見れば、三つ子でもすぐわかるほどの拙い手際である。

参考文献
同文通考 巻之中(早稲田大学図書館)
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_00107/ho02_00107_0003/ho02_00107_0003.pdf
神字日文傳 2巻附録1巻 [1] https://dl.ndl.go.jp/pid/2562730
神字日文傳 2巻附録1巻 [2] https://dl.ndl.go.jp/pid/2562731
神字日文傳 2巻附録1巻 [3] https://dl.ndl.go.jp/pid/2562732
日本古代文字考 : 2巻 上 https://dl.ndl.go.jp/pid/992105
日本古代文字考 : 2巻 下 https://dl.ndl.go.jp/pid/992106
嘉永刪定神代文字考 https://dl.ndl.go.jp/pid/2538641
日本古代文字集 https://dl.ndl.go.jp/pid/916394/1/8

国立国会図書館デジタルコレクションよりパブリックドメインの各文献から画像のみを取りだし加工しています。全ての神代文字を網羅してはいません。また重複もあることをご了承ください。

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